土 木 語 典 

 「古ヘ、イエル事アリ、語典ニ渡ラサルハ、智者ノ所談ニ非スト」(塩山和泥合水集)
「犬走り」 
 「土木語典」今回は,「ねこ車」からの動物つながりで「犬走り」です。

 前回も触れた「建設業慣用語集」によりますと以下のようです。

【犬走り
(1)建物の周囲にめぐらした,たたきのこと(ほぼ軒の出の幅に,コンクリートを打ったり,れんがをならべたり,砂利などを敷いたりする)。
(2)法切,盛土などの傾斜面の中頃に水平に設けた小段のこと。】

 私は土木屋ですので通常(2)の意味でしか使っておらず,(1)の意味はおぼろげに聞き覚えただけでした。しかし,この文章を書くにあたっていろいろな本をつまみ読みしてみますと,建築としての用語の方が古く,もともとは城郭の部分の呼び名からきたようなことがわかってきました。

 専門書と呼ぶのは少々当たらないかもしれませんが,「日本の城語辞典」(萩原さち子 著,三浦正幸 監修,誠文堂新光社,2021年)によりますと以下のような説明があります。

【武者走りと犬走り【むしゃばしりといぬばしり】(専)
土塁や石塁の上は平らになっていて,城兵が歩いたり攻撃する場所として使われました。土塀や柵が設けられ,それらを隔てて城内側のスペースを「武者走り」,塀の城外側のスペースを「犬走り」といいます。(以下略)】

下図のようなイメージです。
 

 さて,前記「建設業慣用語集」(2)の説明を少し掘り下げます。

 いつも参照している「土木用語大辞典」(土木学会編)には次のようにあります。

【犬走り いぬばしり berm bench terrace
堤防においては,提内地法面に設けられた小段のうち,提脚部のものをいう。法面を侵食する原因となる流下水の水量,流速を減少することができる。また,小規模な表層崩壊が生じても犬走りによって土砂の崩壊を防ぐことができる。】

 つまり,土木においては堤防についての用語でした。

 一般財団法人国土技術研究センター「河川土工マニュアル」の「第3章 河川土工の設計」に示されている図を引用掲載します。
 
 土木施工管理技士試験の勉強をされた方にはおなじみの図です。

 堤防といえば河川構造物ですから,次に手元にあった河川工学の教科書を参照してみました。

 「最新土木工学シリーズ17 最新河川工学」(岩佐 義朗 著,1996年1版15刷,森北出版)
 「7.2 堤防と護岸」には「小段」や「犬走り」の説明はありませんが,「図7・3 堤防断面の名称」には堤防断面折れ箇所がAからMまで示され,「CD:表小段,IJ:裏小段,KLM:犬走り」とあります。「KLM」は,堤防敷と提内地の接続点ですから「堤脚部」のものです。

 「最新河川工学(改訂版)」(宮田 公平 著,199年三訂7版 理工図書)
 「第12章第3節 堤防の断面」の図-56には上記の図とほぼ同様な図があり(多少記号が違う),「在来地盤がよくないときや低いときに,在来地盤よりやや高く,のり先に平場を設ける。これを犬走り(Berm)という。」と説明があります。

 では,「小段」を設ける理由は何でしょうか。
 国土交通省「河川に関する用語」サイトの「2.河川構造物」説明には次のようにあります。
【堤防が高くなるとのり長(斜面の上下方向の長さ)が長くなるので、のり面の安定性を保つために、小段と呼ばれる水平な部分を設けることがあります。小段は、維持補修や水防活動といった作業を容易にする役割ももっています。】
 ちなみに,ここには「犬走り」はありません。

 構造のことですから「河川管理施設等構造令」を見ます。
【(小段)
第二十三条 堤防の安定を図るため必要がある場合においては、その中腹に小段を設けるものとする。
2 堤防の小段の幅は、三メートル以上とするものとする。】

 「必要がある場合においては」ですから,必ず設ける必要があるのではないようです。そうなるともう少し追い込んでみたくなります。

 「河川堤防設計指針」(国土交通省河川局治水課 平成14年7月12日,最終改正,平成19年3月23日)の「4.堤防構造の検討手順と手法 (3)堤防の基本断面形状 Aのり面の形状とのり勾配」には,次のように見えます。少し長いですが引用します。

 【構造令では,のり勾配は2割より緩い勾配とし,一定の高さ以上の堤防については必要に応じ小段を設けることとしているが,小段は雨水の浸透をむしろ助長する場合があり,浸透面からみると緩やかな勾配の一枚のりとした方が有利なこと,また除草等の維持管理面やのり面の利用面からも緩やかな勾配が望まれていること等を考慮し,緩傾斜の一枚のりとすることを原則とした。ただし,従来より小段を設ける計画がないような,高さの低い堤防に関してはこの限りではない。さらに,既存の用地の範囲で一枚のりにすると,のり勾配が3割に満たない場合の断面形状については個別に検討する必要がある。
 また,小段が兼用道路として利用されている等の理由から,一枚のりにすることが困難な場合には,必ずしも一枚のりとする必要はないが,雨水排水が適確に行われるよう対処することが必要である。】

 小段を設けない一枚法のほうが原則になっています。これに関する文献を見つけました。

 「気象ブックス040 河川工学の基礎と防災」(中尾 忠彦 著,2015年3版,成山堂)
 このなかに,法面の長さが長くなると不安定になり,また施工のためにも,草刈など維持作業のためにも小段があると便利であると考えられてきた。しかし【現在は耐震設計の面から,小段を設けるよりもその用地幅を使って全体の勾配を緩やかにするほうが有利であるとされている。草刈も,機械を用いる場合には法面の勾配が緩い方が都合が良いということになった。また,小段があると雨水が堤体に浸透しやすくなると考えられる。大洪水で堤防を越流したとき,堤防がどのようになるか調べる越水実験によると,小段があると法面を流下してきた水が小段にぶつかって侵食するので,越水に対する堤防の弱点になる。】したがって,小段はむしろ有害であると結論された,とあります。犬走りも先に述べたように小段の一種ですから同じ結論でしょう。

 かくして,今後の河川堤防においては小段は「必要がある」とは認められなくなるようです。

 一例として「平成27年9月関東・東北豪雨にかかる洪水被害及び復旧状況等について」(平成29年4月1日国土交通省関東地方整備局)の図を引用します。
 小段はありません。

 

 余談になりますが,私は土木施工の講義をつい最近まで専門学校でしてきましたが(今は退職しました),その場合必須なのがこのような図です。施工管理技士の試験では,1級でも2級でも必ずと言ってよいほど河川堤防や砂防えん堤の問題が出題されます。断面が与えられ,各部の名称がわからなければ問題文の解釈ができない仕組みです。とにかく初学者は膨大な構造物などの部分名称を覚えなければなりません。そのため,用語を覚えるには図のない過去問だけをやっていてもだめなわけです。図解参考書が必要なことが納得できます。閑話休題。

 「小段」や「天端」などであれば漢字で意味は見当がつきますが,最初に戻ってなぜ「犬」なんでしょうか。「小段」と「犬走り」の違いは,「犬走り⊂小段(「犬走り」は「小段」の部分集合)」でわかりますが,なぜ一番下(堤脚部)だけ名称が変わったのでしょうか。
 これについては,「日本の城語辞典」の当該箇所の挿絵で,「犬走り」の方は狭く「武者走り」の方は幅が広く書かれていることから,「ねこ車」の場合と同じく,幅が狭く犬ぐらいしか通れないとの意味ではないかと思われます。しかし,それこそなぜ「犬」なのかは,ついに説明を発見できませんでした。
2023.01.22 2023.12.08 改訂

トップページに戻る はじめに に戻る  第5回に行く              第7回に行く

 Copyright(C) 2023 技術士事務所水野テクノリサーチ All Rights Reserved