「古ヘ、イエル事アリ、語典ニ渡ラサルハ、智者ノ所談ニ非スト」(塩山和泥合水集) |
「ショベル・スコップ」 |
「土木語典」今回は,動物つながりを外れて,先に予告した「ショベル・スコップ」です。
あとでもふれますが,私が若いころ現場の親方たちに教わった「金象印」で有名な「浅香工業株式会社」の社史「浅香工業のあゆみ みなさまにささえられて330年」を,ようやく入手できたからです。
これまでにも触れた「建設業慣用語集」によりますと以下のような言葉があります。
【スコ : スコップの略。剣スコ,角スコ,練スコなどという】※なお本書にはショベルという語はありません(なぜかはわかりません)。
筆者が学校を出て初めて入った建設会社は関西の会社で,現場では「スコ」が標準語でした。ですから,建設現場で土を掘ったりすくったりする道具は全てスコップという名称で,ショベルという呼び名は園芸用の小さいものと思い込んでいました。
ずっと後になって,ある事実に気にとまりました。映画などに出てくる外国のスコップの柄には持ち手(柄の上部の三角形のところ。ハンドル)がありません。棒のままです。日本の鉄道工事古写真などを見ても明治期には輸入ものしかなかったようで棒状です。
しかし現在の日本ではまったく棒状のものは見えません。「モノタロウ」サイトにも,小さな園芸用以外には見当たりません。ということは,いつの時か誰かが発明(考案)して現在に至っている,しかもその時期は明治以降であるとわかります。
まず,スコップの事を調べました。筆者が古く現場で世話役(親方)に教わった事の1つに,「スコを買うときは金象印にしろ」ということがありました。それを手掛かりに探すとすぐ「浅香工業」という会社の商標であることがわかりました。この会社(正確には「浅香工業株式会社」)は,建設に関する工具等を製造販売しています。「金象印」は同社のオンラインショップ「金象本舗」としても存在しています。これらに関する若干の事項については,本項後半で語ります。
同時に,建設現場で土を掘ったりすくったりする道具は全てスコップという筆者の記憶は間違いで,ショベルとスコップは形状により区別され,地方により呼び名が入れ替わったりしていることもわかりました。本項では名称について探求するわけではないので,日本産業規格(JIS)の分類によって以下を続けます。
JIS A 8902-1988「ショベル及びスコップ」によれば,「表1 種類」には9種類が掲げられ,「丸形1番」「丸形2番」「角型1番」「角型2番」「コンクリート用」が「ショベル」とされています。また,スコップは2番と3番の2種類です。
さてショベルとスコップのどこが違うかというと,JISに明確な説明はありませんが,さじ部(刃)の肩がほぼ直線かあるいはなだらかな曲線かというところです。
直線の方は足を掛けてぐっと差し込んで掘る,曲線の方は,山になった土をすくう用途であるとされます。つまり,土を掘るのがショベル,土をすくうのがスコップ,というわけです。現代でも,掘削機械のことを「パワーショベル」などといいます。
この定義に合うもののうちスコップ写真は残念ながら筆者の土木写真コレクションにはありませんでした。下の写真はショベルのうち角形(左)と丸形を示したものです(撮影2023年9月29日)。「コンクリート用」の形状は角型とほぼ同じですから省きます。
ちなみに,この両者は我が家の備品です。

次に,この会社が国産ショベルやスコップを開発したのかどうかですが,これはすぐわかりました。同社のホームページの「沿革」に以下のようにあります。
明治26年(1893年)
6代目浅香久平は土木・鉱山事業勃興の機運をいち早く見越し,日夜苦心研究の結果,明治26年に我が国で初めてショベル,スコップの優秀な製品の生産に成功。堺市綾之町において起業化を果たす。
明治30年(1897年)
<象印>商標を登録,現在に引き継がれ当社のシンボルマークとなる。
<象印>製品の評判は国の内外に高まり,生産は躍進を続ける。
さて,金象印の製品が,前述した世話役のみならず,ある独特の世界でも確かな製品であるという事を語っている本に出会いました。
「蒸気機関車の動態保存−地方私鉄の救世主になりうるか」青田 孝 著,交通新聞社新書045,(株)交通新聞社,2012年です。
本書の内容は書名の通りですから省きます。本書218〜229ページには以下の物語があります。
【スコップもない。一部の自動給炭機が付いた蒸気機関車を除き,運転台の後ろに積まれた石炭は,スコップで釜にくべなければならない。このスコップを機関士仲間は「小さいスコップ」を意味する「小スコ」と呼ぶ。この「小スコ」が動態保存の1つのカギを握っていた。】
以前から使っていたスコップは擦り切れてしまっている。そのため形だけを真似して復元し,使ってみたが,機関士の評価は低かった。
【どうにもバランスが悪くて使い物にならない】
柄に残されたシールに「金象印」とありました。ここから大井川鉄道と浅香工業のやり取りが開始されます。前者は是非製造してほしい,文化遺産の保存のためです。後者はすでに生産を止めており金型も残っていないから無理です。このやり取りがしばらく繰り返されました。しかし,決め手は「文化遺産の保存のため」という殺し文句で,浅香工業は引き受けることになりました。商売っ気抜きの続きはどうぞ本書をお読みください。
こうしたことにより,同社の社史「浅香工業のあゆみ みなさまにささえられて330年」(以下「社史」)が現代につながっていることを知りました。ぜひ国産化の経緯を知りたいと思い,本書の探求を加速しました。
これがなかなか見つかりません。国会図書館に行けば在ることはわかりましたが,現物を入手したかったのです。アマゾンにも「日本の古本屋」にもありません。
しかし,詳細は省きますが,ひょんなことから最近入手できました。内容は非常に面白いのですが,とくに「本多光太郎先生の指導で品質さらに向上」(社史44〜46ページ)には驚きました。あの「KS磁石鋼」発明者が,直接「熱処理」の指導を行ったのです。大博士が金象印とご縁があったとは驚きでした。
本多博士は昭和4年(1929年)に東京帝国大学教授となり,その後昭和6年(1931年)東北帝大学長になっています。この東京にいたわずかな期間に指導を受けられたのは「まことにタイミングがよかったと思われる。それ以前であれば,東北帝大のある仙台からわざわざ堺に来てもらわねばならず,学長就任以後では,直接に指導を受けることは困難だったに違いないからである。」と,社史にあります。まさにその通りと思います。
社史は1991年の出版であるため,先の「小スコ」エピソードは含まれていません。また,柄の形状ですが,本書によると明治40年ごろの考案であるといいます。
なにはともあれ,筆者も含む土木屋の相棒であるショベル・スコップが国産化された経緯を知れてうれしい限りです。
しかし,最近の土木技術者はショベル・スコップを手にもって仕事をするような事はないのかもしれません。
ということで,触ったことのない方には,次の「作業標準書」が役に立つかもしれません。ただし,この標準書内容は,ショベルのことです。最後に「剣先」とあるのでわかります。私と同じ根本的な勘違いをしているのかもしれません。文字が小さくて読みにくいのはご容赦ください。
※NHKTVの「探検ファクトリー」という番組(2023年12月16日0:15〜0:40)で,「大阪・堺のショベル・スコップ工場」として「浅香工業株式会社」(NHKですから番組中に名前は出ません)が紹介されました。製造工程など興味深いシーンもありました。
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2024.01.05一部追加 2023.12.08 改訂 |
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