千葉県市川市は、史蹟の多い街です。国府台、中山法華経寺などを散策すればいたるところに史蹟や碑が目に付きます。今回はそのなかのひとつを訪ねます。
これが「八幡の藪知らず(八幡不知森)」です。この中に入るとたたりがあると言い伝えられているそうです。だれの祟りなのか、少し長くなりますが、いつも参考にしている『平将門故蹟考(織田完之)』からこの藪に付いての部分を一部引用します。
【江戸名所図絵第二十巻に云く八幡不知森は天慶三年平将門戦没の時六人の近臣その首級を追て此の地に来り此の林中に入りて動かず終に土偶人と顕はれたりしか其の後雷雨に逢て破壊せり此の土を踏む者あれは必ず祟りをなすと】
またおもしろいことにこれにすぐ続けて以下のような記述があります。
【元禄年間水戸西山公此の森林に入り試みられしに出處に迷われたりと傳へ今に森林に入ることを厳禁す】
このすぐ脇に国道をまたぐ歩道橋がありますが、その上から撮った写真が次の写真です。
見るからに周囲をどんどん削り取られやせ細ってしまった感じです。これでは迷子になり様もありません。
千葉県には成田山新勝寺(成田不動)と云うお寺があって、ここは将門調伏の祈祷を行ったとされるため、将門を慕う人々はお参りをしないという伝説もあるように、茨城県の伝説とは幾分ニュアンスが違って見えます。この森の近く(市川市菅野)にも山王山不動院があり成田山と同じ不動尊で将門調伏をしたといいます。