寅薬師(茨城県守谷市)

コロナ禍を言い訳にしてかなり長い間更新を行っていませんでした。再開するにあたり,最近は出かけていませんので,過去の訪問個所を総ざらいして,古くてもテーマに相当する内容を洗い出しました。

今回は,守谷市野木崎の慈雲山(じうんざん)正安寺(しょうあんじ)別名寅薬師です。

野木崎はもとの野木崎村で,「守谷町史」(守谷町史編さん委員会,昭和60年)には【野木崎は鬼怒川が利根川に合流する地点にあり,その左岸に位置する村落で,中世には野毛崎または野介崎と称していたものとみえ(中略)その歴史はさらに遠く律令時代にさかのぼるものと考えられる。】とあります。理由は,地名などに律令時代の名残が見えるからだそうです。

写真1 慈雲山正安寺(2014年6月1日撮影)

訪問した当時は東北地方太平洋沖地震によってでしょうか,向かって右側の灯篭の上部が落ちてしまっていました(写真2)。(再訪していないので現在の様子は不明です。)

写真2 入口の灯篭(2014年6月1日撮影) 写真3 山門接近(2014年6月1日撮影)

写真3でははっきりしませんが,門柱の向かって右に【天台宗正安寺】,左に【慈雲山寅薬師尊】とあります。

左山門のところに案内板があって,以下のようなことが記されています。全文を引用します(すべて原文のままです)。

天台宗 慈雲山(じうんざん)正安寺(しょうあんじ) 寅薬師(とらやくし)の由緒,

 正安寺は今より約七百年前(1300年)に創立され 開山は行円上人で 現在の住職は第七十三世代であります。
 安政三年(一八五六年)火災により焼失し安政五年に新築されました。
本山は滋賀県の比叡山延暦寺で御本尊は阿弥陀如来で行基菩薩の聖作と伝えられています。
 合祀されている寅薬師如来は 静岡県峯の薬師の分身であるが 元は野木崎辺田前の医王寺に祀られておったが明治維新に廃寺となり ここに合祀されました。
寅薬師の眷属(家来)である十二新将の真達羅大将(寅童子)の化身が徳川家康であると云い伝えられており 徳川家の安全祈願を行ったことから 寅薬師の名が起こったと言われております。
因みに当正安寺には 慶安二年(一六四九年)に徳川三代将軍家光公から 四十石二斗余りの御朱印地を賜りました。
 寅薬師は昔から霊験顕著な佛として崇められ 縁日には広く他県からまで信者が訪れました。
 毎月十二日が縁日であり 又十二年目毎に(寅年)には ご本尊の御開帳祭の行事が行われます。
 皆様も 誠心こめて参詣して 家内安全無病息災を祈願されますことをおすすめいたします。
 
 平成九年八月(一九九七年)
 住職 豊谷 秀憲

なお,この文章と概略同じ内容が「相馬傳説集」(寺田 喜久 著,大正十一年,相馬傳説集刊行會(復刻昭和五十九年,㈱崙書房))に書かれています。かなり歴史のあるお寺です。

写真4 本堂(2014年6月1日撮影) 写真5 鐘楼(2014年6月1日撮影)

本堂(写真4)も鐘楼(写真5)も立派です。

昨年の御開帳に来れば御本尊に会えたかもしれません。先の案内板にあるよう御開帳は12年に一度ですから私の年齢では微妙になりました。御本尊は守谷市指定文化財(彫刻)(指定平成10年11月30日)ですので,市のホームページの写真と説明をお借りします。元のページはこちらです。

寅薬師如来座像

なお,守谷市のホームページにはこのほか「平将門伝説」というページがあります。こちらです。そこには次のようなことが記されています。
平将門が太公望(中国古代王朝の周の政治家:呂尚の別名)の用いた「虎の巻」を夢のお告げで手に入れました。
そこで、王城の寅の方(東北東かやや北)に御堂を建てて、寅薬師をまつりました。
現在、正安寺寅薬師如来があります。

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