七人将門の墓
山梨県大月市を訪問した回でも触れましたが、平将門には
7人の影武者がいた伝承は広く知られています。 これが海禅寺の現在の姿です。
このお寺は伝承によれば、将門が、前前回にご紹介した守谷城を築いたとき、紀州高野山に類似の地形(高野は古く荒野といい、侵食によって台地から切り離されて島状になっています)を求めて承平元年(
いろいろな形のお墓が
8基整然と並び、向かって右端にひときわ大きな墓が一基あります。これが将門の墓と言われているものです。 近くに寄ってみれば、このようにはっきりと「平親王塔」という文字が読めます。
将門のお墓はいろいろなところにありますが、ここには何が祭られているのでしょうか。
「守谷町史」によれば、「墓はその様式から推定して、江戸時代に造られたものとみられるが、その中の一基は、室町様式と考えられる。また、将門の位牌も江戸時代の作とみられる。」とあります。やはり当然ですが、後世のものであるようです。