陸平貝塚 (茨城県美浦村)
今回は「国指定史跡(1998年9月指定)」の「陸平貝塚(おかだいらかいづか)です。茨城県内で2つしかない村の一つで「日本中央競馬会(JRA)の美浦トレーニングセンター」で有名な美浦村ですが,なかでも特筆すべき史跡として,この「陸平貝塚」があります。なぜ特筆すべきかといえば,日本人による最初の学術発掘が行われた貝塚であるからです。
貝塚といえば,アメリカ人の動物学者・エドワード・S・モースが,明治10年9月に発掘調査を行った「大森貝塚」が知られています。このときモースは東京大学の初代動物学教授でした。そして,同教室から同行した日本人学生の中に「佐々木忠二郎(のちに「忠次郎」と改名)」がおりました。佐々木は明治12年7月,霞ヶ浦に淡水貝類採取のため当地を訪れ,一面の貝殻散乱を発見しました。これが,縄文時代当時は霞ヶ浦の島であったと考えられる安中台地にある「陸平貝塚」発見の端緒です。2019.06.20追記。発掘はもう一人飯島魁も行いました。飯島も生物学科の佐々木の一年後輩です。
なお,正式な地名は「岡平」であると「美浦村教育委員会」発行の「国指定史跡縄文遺跡陸平貝塚~過去・現在・未来をつなぐ物語~」(「美浦村文化財センター」で購入。500円)に書いてありますが,ホームページなどを見ても,見た限り「陸平」になっていますから,そのままにします。2019.06.20追記:写真8の「大宮神社」の住所は,「稲敷郡美浦村土浦外十六大字入会字岡平1番地3」で,「岡平」となっていました。
面積約30,000m2の広大な台地を取り囲む斜面に残された大小8ヶ所の貝塚群は、縄文時代早期(約7,000年前)から後期(約3,500年前)のものです。詳しくはこちらをご覧ください。
訪問した当日は,イノシシの足跡が発見されたということで,部分的に立ち入り禁止措置がとられていました。そのため,林の中に入ることはためらわれたので,人の歩いた形跡のある道だけを歩いてきました。
写真1は,駐車場にある貝塚の全体図です。全体は公園になっています。入口近くには写真2の「美浦村文化財センター」があります。玄関には「陸平研究所」の看板もあります。2019.06.20追記:「陸平研究所」については,美浦村のホームページの文化財のページに次の記述があります。【美浦村文化財センターの前身は、村内の遺跡から出土した遺物の収蔵・整理施設であったプレハブ建物でした。そこには陸平貝塚などの発掘に参加する多くの学生や研究者が集まり、熱心に調査研究がおこわれたため、「陸平研究所」という看板が掲げられました。その後、陸平貝塚の保存と活用を進めるボランティアの方たちの活動拠点にもなり、そこからさまざまなイベントや体験事業が発信されるようになります。】
写真1 陸平貝塚公園案内図(2019年6月2日撮影) | 写真2 美浦村文化財センター(2019年6月2日撮影) |
少し歩くと写真3のような広場になっており,周辺に貝塚が点在しているといいます。
写真3 陸平貝塚公園(2019年6月2日撮影) |
広場入口の所に,写真4の「陸平貝塚」碑があり,このあたりが最初に発見されたA貝塚です。
写真4 陸平貝塚碑(2019年6月2日撮影) | 写真5 陸平貝塚A貝塚(2019年6月2日撮影) |
周囲を見ると,確かに白い貝殻が散らばっています。当時は丘が真っ白に見えたという記述もあるそうです。
写真6 貝殻の散乱状況(2019年6月2日撮影) |
広場には縄文時代の竪穴住居を復元したものがありますが,まあこれは現代のものですからパスします。
イノシシに関する注意看板があり,また,「マムシに注意」標識もある(写真7)ため,道路だけを辿ります。
周囲はゴルフ場なので,人の話し声やショットの音などが聞こえ,林の奥に広大な芝生が見えるなど,なんとも面白い感じです。
道を辿ると「大宮神社」に行き着きます。安中郷24ヶ村の総鎮守です(写真8)。詳しくはこちらでどうぞ。
写真7 イノシシ出現,立ち入り禁止(2019年6月2日撮影) | 写真8 大宮神社(2019年6月2日撮影) |
一回りして「美浦村文化財センター」に戻りました。展示室はその中の一角にあり,ちょうど某大学の考古学専攻の学生さんが訪問されており,係員の説明を熱心に聞かれていました。
写真9 展示室(2019年6月2日撮影) |
私は聴いても難しいだろうと考え,うろうろしていると,もう一人の学芸員さんが見かねたのか,熱心に分かりやすく説明をしてくれました。おかげで,先ほどまで見てきた貝塚の全体像が理解できました。彼女に感謝です。印象に残ったこととしては,地元の方々の応援が活発らしく,「陸平をヨイショする会」などもあるそうです。帰りには「ヨイショグッズ」の土笛を買いました。
2019.06.20追記:資料棚に「藤森栄一全集」が並べられていたので,藤森先生が何か関係しているのかと質問したところ,ボランテイア団体が「藤森栄一賞」を受賞したとのことでした。
貝塚としては,千葉市の「加曽利貝塚」,土浦の「上高津貝塚」なども訪問しましたが,それらと同じく地味な印象でした。もっとも,貝塚という所は地味なところで,あまり派手にはならないでほしいものです。