勿来の関
常陸の国の太平洋側には、陸前浜街道が奥州へ続いていますが、水戸から北へ向かう街道は、古くは「岩城相馬街道」「東海道」「奥州東通り」などと称されており、明治5年(1872年)統一した名称として「陸前浜街道」とされたといいます(「街道の日本史13 北茨城・磐城と相馬街道」(吉川弘文館 2003年 2ページ)。現在の国道6号線がほぼ浜街道をなぞっています。
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写真1 勿来の関 |
写真2 源義家の像 |
ここに源義家(みなもとのよしいえ:長暦3年(1039年)〜嘉承元年(1106年)。平安時代後期の武将。八幡太郎といわれる)の像があるのは、彼の和歌にここを枕詞にしたものがあるということなのかどうか、また、いつごろ立てられた像なのかは、記録を忘れました。
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写真3 松が多い風景 |
写真4 弓掛けの松 説明 |
少し坂になった道をあがっていくと、両側に歌碑などが点在しています。それぞれ、有名な歌人たちの名があります。小野小町、紀貫之、西行、芭蕉そして源義家などなど。
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写真5 両側に歌碑が点在 |
写真6 歌碑などの説明版 |
頂上らしきところ(休憩所などがある)といってもなく、木々の間から太平洋が見えます(写真7)。残念ながらよく映っていませんでした。
なだらかに下ると「いわき市勿来の関文学歴史館」があります。
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写真7 太平洋遠望 |
写真8 文学歴史館への道 |
そこから今度は車道を引き返してきました。
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写真9 皇紀二千六百年の碑 |
写真10 総合公園全体像 |
皇紀二千六百年とは、明治政府が「古事記」と「日本書紀」から定めた紀元で、その2600年は昭和15年(1940年)でした。なぜ、この地に建てられたかは判りません。